澤田みづえの音楽活動ブログ

例えると、すごろく。

こんばんは!

先程、レッスンが終わりました。

本日、午前より夜までレッスンに来ていただいた生徒さんたち、お疲れ様でした!

ここにきて、発表会へ向けての意思が芽生え、それに伴い着々とゴールに向けての足並みがしっかりとしてきた子たちが増えつつあり、心底ほっとしています。(笑)意識が変わると、家での練習の取り組み方が変わり、レッスンでの態度も変わり始めます。もちろんそれと同時に、加速度的に演奏も上手になっていきます。

近頃レッスンをしていると、発表会というゴールを目指すこの時間は、悲喜交々のスゴロクのようだな…とつくづく思うことがあります。

前回のレッスンをしっかり復習すれば、今週は全部が通しである程度弾けるようになっていたはずが、家での練習が少なくて何マスか戻ってしまったり(泣)、そうかと思えば、急に全てのことが分かったかのように(それを、人はジャンピングチャンスと呼ぶ…(笑))予想以上のところまで仕上げてきて私を驚かせてくれたり(喜)なかなか人生同様、山あり谷あり。

…あ…一番悲喜交々なのは、指導側の私かも?

行先に何があるかなんて、本人でさえ分からない。一所懸命に練習していたとしても、本人が気づかないところで練習の仕方が間違っていたりすると、弾けていたところがなぜか弾けない!なんて日も来る。こんな確約のない中、無我夢中でとにかくやらなきゃいけないなんて、本来、過酷すぎますよね。

私は指導側の立場なので、生徒さんから見たら『先生はいいよね〜。練習していない曲でもすぐに見ただけで弾けちゃうし。』とか言われてしまうような恐らくお気楽に感じられているような存在ですが(実際、そんなことをよく子供達からは言われています。笑)、それぞれの生徒さんの挑戦する曲の長さやレベルも当然違う中、なんとか発表会までどの生徒さんもゴールまで辿り着かせないとならないというプレッシャーでいつも私は今押しつぶされそうになっております。。

基本的にレッスンは楽しくあるべきと思っている私ですが、この時期はスパルタの自覚ありです。(あまり怒ったりはしませんが、淡々と厳しいことを要求している自覚はあります。(笑))

しかし、1年にたった1度の晴れ舞台のこと。誰も助けてくれない孤独な舞台で、当日その子が練習不足で思い知る恥ずかしさよりも、事前に今伝えておかなきゃいけない厳しさがあると私は思っています。

発表会の日の出来栄えなんて二の次、三の次で良いんです。むしろ、そこまでにいくまでの練習で、どれだけ自分を追い込んで頑張れるか。人の気持ちに届く演奏を丁寧にしようと心を込められるか。それが大切なんです。

ここから発表会までの間。

その生徒さんの持つ力を勝手に図って限界を決めたりせず、みんながどこまで出来るのかを楽しみに上だけを目指して指導してまいります!)^o^(