日々生徒たちのレッスンをしていて、生徒たちの音楽的な成長を密かに?喜んでいる私なのですが、先日ある生徒の大きな成長に気づき嬉しく思いました。
その子は保育園児の時から当教室に通っていただいていますが、今は小学生。以前より家での練習の習慣づけがうまくいかず、それが永遠の課題であるような子でした。
お母様もお迎えのたびに『家ではさっぱり練習しないんです〜。私が言っても喧嘩になってしまって、言うことを聞かないので。』とぼやかれるくらい😂
でも、幸いなことに、講師である私と約束したことだけはきちんとやるという素直な面があったので。(大体お子さんたちは、親の言うことは聞かず、先生の言うことなら聞くパターン。あるあるです。)私はまず日割りで部分練習の場所を指定して、練習をやった日付には◎やらなかった日付には×をして、自分の練習を振り返るようにさせていました。
でも、そんなにすぐには結果は出ず。最初は練習が出来なかった日である×印が圧倒的に多くて🥲これはかなり長期戦になりそうだな…と覚悟していました。。
『練習は、毎日した方が上手くなるけどなぁ。』『疲れていたり忙しかったりしても、毎日ピアノの前に一瞬座るだけでもやってみてほしい』と、繰り返し伝えて、その結果やはり練習が不十分なままレッスンに来ても、とにかく責めないように心がけていました。自分の痛いところばかりを突かれるような悲壮感漂うレッスンは誰も受けたくありませんからね。(笑)
その生徒は、練習にきちんと取り組めていない後ろめたさから、
『もし先生の言うように家で毎日練習をしたとしても、自分はそんなにうまく弾けるようにはならないと思う…』
といったように、あらかじめ”私の問題点は、能力の無さであって、練習不足のせいではない“という、逃げ道を作っておくような発言がとにかく多かったです。(笑)
しかし、今年の発表会前くらいからでしょうか。
レッスンに来たら以前よりも自信のある表情でピアノの前にさっと素早く(笑)座るようになり、間違えたところは自ら楽譜に書き込むようになり、明らかに以前よりも自分がどうしたらより上手に弾けるようになるのかを考えながら弾く様子に変化してきました。
またそれと同時に、やってもみていないのに自分にはどうせ出来ないと言い切ってしまうような😅『失敗する理由は、私の実力がないせい。たとえ毎日練習したって、結果は同じに決まってる』的な後ろ向き発言もなくなっていきました。
そういった言動の変化と同時に、当然ながら練習の結果である演奏能力も確実に変わってきていて、それが彼女の自信に少しずつ繋がって、良いスパイラルが生まれていることは明らかでした。
負のスパイラルを生み出すような発言をしなくなってからというもの、レッスンでは『今日はここまで練習してるから、多分弾けると思うよ!』など、自分の実力を客観的に判断出来るようになり、自分の出来ていない問題点もきちんと具体化できるようにもなってきました。
日々の練習の着実な積み重ねにより、演奏の実力が備わってきたと自覚できると、講師の前で宿題とされていた曲を弾く際にも心の余裕ができてきます。日々の練習不足をどうにか繕うように弾くことに意識を向けるのではなく、自分の出す音を本当に味わいながら聴きながら弾くと言うことが出来るようになってくるので、演奏する音の音色も伸びやかで自信に満ちた良い音になってきます。
こんな風に紆余曲折を経て、今も発展途上の中にある彼女。先日のレッスンでバッハを演奏中、ラとシの音を同時に出す部分で、思わずハッと手を止めました。
音が綺麗に響き合っていないと感じたようで、『こんな響きだけど、私の演奏合ってる⁉️』となって、手を止めたようでした。
私はその自ら出した音を疑う様子に感心し、
『ラとシは音階の隣の音同士だから、どうしても濁った音になるんだよ。〇〇ちゃんの演奏は間違ってなかったよ。』
と、まずは音の響きあう仕組みの話をして、
『でも、すごいね!その音が濁ってるってよく気づいたよね!ちゃんと演奏しながら自分の音を聴けている証拠だし、正しい音感がついてきたんだね!』
と、盛大に褒めました😆
音感が正しく育っているなと思ったのと同時に、そのようなことまで気にすることが出来るまでの余裕を持てるくらいに、家で練習をしてくれるようになったことに改めて彼女の心の成長を感じ、とても嬉しく思いました。
何か一つだけの能力が突出して良くなるケースももちろんゼロではありませんが、たとえばこの子は最近耳が良くなってきたなと感じると、大体他の何かも総合的に出来るようになっていることが多いです。そして、そこには必ず心の成長が関わっていると感じます。
心の中の成長とは、それ自体はなかなか目に見えにくいものですが、他のことに反映された時、目に見える確かなものとなっていきます。その一つ一つの小さな変化に気づき、そこをすかさず引き上げていく。
生徒を上からしか見ない指導はせずに、生徒を横からよく観察して引き上げていくコーチングができるということを、私は講師の理想像と考えています。