澤田みづえの音楽活動ブログ

才能

『先生は、子供達の音楽的な才能は、どのようにして見出されるのでしょうか。ピアノの才能とは、プロから見たらすぐに分かるものなのでしょうか。

…という内容のことを、よく保護者の方などから聞かれることがあります。

私が思う音楽的な才能とは、色々ありますが、

⭐︎音楽を心から好きだと思える心があること

⭐︎レッスンで講師にアドバイスされたことを、その次のレッスンまでに1つも落とさず直す気持ちがあること

⭐︎家での練習をどんなに辛くても、逃げずにやり切ること

⭐︎一見変化のない退屈なことでも、毎日淡々とやり続けることができること

…まだまだたくさん溢れ出そうですが、ここらへんにしておきます。(笑)大まかに言うと、こんなところかなぁと思います。

実際に音楽性がある、無いということは生まれつきのものが多くあると言われていますし、私自身が実際にレッスンをしている時にも、やはりそれはピアノの前に座って構える様子を見たら(ピアノの音を出さなくても、ピアノに向かう時の姿やオーラ?みたいなもの)それだけで分かります。

どんなに小さな子でも、音楽性のある子は、レッスンの中で苦手なところの反復練習をしてもらっている時も、ピアノに向かう姿が”作業をこなしているだけ”なようには、見えないんです。そういう子は、練習の先にあるものの価値”というものに気づいています。

そして、楽しそうとか嬉しそうとか、悲しそうとか、怒ったようなとか。そういう感情を音の雰囲気から汲み取ることも得意な子は強いです。(これも、レッスンしていると、元々持っている感性の違いはあるなぁと思うことがよくあります。)

生まれつき備わっている感受性が鋭く、このトレーニング無くしてどんどん成長する子は音楽的成長の上でとても有利なことは間違いありません。

私自身の話になりますが…私は幼い頃から夕方に”夕べの鐘”が鳴るとその音からとても不吉な連想をしてしまい、”このまま世界に自分だけ取り残されたらどうしよう…”と感じてしまい、我慢できず毎日その音色が聞こえる時間帯にきまって泣き出してしまうような強すぎる感受性を持っていて、今思うと本当に困った子供でした。(笑)

夕べの鐘だけでなく、さまざまな音を聴いたり、物語を読んだりするとまるで自分のことのように共感し、心がそのたびに締め付けられ、常にストレスを感じていました。そしてその気持ちを共感してもらおうと懸命に言語化や絵などを描いて説明しようとするため、周囲の人はそんなワケの分からないことをいつも聞かされて、相当戸惑っていたと思います。😅

そんな風に強い感受性を持っていた私は、本当に日常生活の中でいつも生き辛さを自覚していて…はっきり言って自分の中ではその感性の部分は日常生活を脅かす短所そのものでした。

しかし、その一方でその感性が生かされる音楽の場面では長所として先生から認められ、肯定されることが多かったです。

先生が、ここはどんなふうなイメージ?どういう音で弾きたい?と突然聞いてくるレッスンでも、すぐにイメージを答えることが出来て、演奏という表現手段で音色に乗せることが楽しかったので、その点では苦労することがなかったなと思っています。

よく私の例でこんな話をすると、生まれつきのそういう強烈な感性を持っていないと、やっぱりその道に進むのは難しいのね。と思われがちなのですが、それは違うんです。

日常の過ごし方、レッスンでのトレーニングでカバーすることは可能です。どんなに才能があると思われている人でも、最初から演奏における全ての能力がパーフェクトに備わっている人などいないからです。

ということで。結論としては、ピアノを続けていくor上達する上での必要な才能が生まれつき備わっているか?なんて、特に気にする必要はありません

当教室では、そのようなことをふまえて、耳のトレーニングを導入期から行っています。

その音感トレーニングの一つとして、聴こえた音のイメージを答えてもらうというものがありますが、ピアノを始めて間もないような3〜4歳くらいのお子さんでも、パッと聴いただけで『悲しそう』あるいは『楽しそう』などのイメージが当たり前のように分かる子には分かり、その一方で、ピアノ歴がある程度あってもそのイメージがなかなか掴めないという子も一定数います。

そのようなものはやはり感覚的なものですので、ピンと来ていない子に勉強のような感じで暗記して覚えさせるというわけにもいかず😣…指導はある意味難航します。そのトレーニングを繰り返すうちに、その子の音色に対しての感覚が研ぎ澄まされていくのを気長に待つしかありません。なので、その音楽の感性が元々あるということは、たしかにアドバンテージがあるということになります。

クラシック音楽を学び演奏する時、調性感(長調が明るい、楽しい、笑っているような感じ←→短調が暗い、悲しい、寂しい感じ)は一般的な認識と足並みを揃えておく必要があります。

なので、このような感覚に乏しい場合には、これを養うためのトレーニングが早急に必要だと私は考えています。

指回りの速さなどもその人の持っている骨格(指の関節が潰れにくい強さ)、運動神経の素早さ、脳からの伝達スピードの速さ…など様々なセンスがやはり影響していますが、それは正しく訓練していくうちにどのような年齢の方でもある程度のところまではいけると思っています。でも、感性の部分は人格が出来上がってしまう前の段階、出来るだけ幼い時期に見たり、聴いたり、考えたり、想像したり…様々な経験を通して磨き上げてていく部分だと思っています。

どんな人でも得意・不得意なことは必ずあります。自分の足りないところ、それを補うトレーニングをいかに積み重ねていくかがポイントとなります。

元々我が子が天性でどれだけのセンスを持っているかということが気になる方も多いと思いますが、これまで積み上げてきた経験と現在の生徒たちの指導を通して思うことは、そのような能力があるかどうかよりも、自分の至らなさを認めて、足りないところを補う練習をいかに淡々とこなすことができるかという持続力の方がはるかに大切だと私は思っています。


私は全ての生徒のレッスンを通して、それぞれみんな違った良いところがあると感じています

指は速く回りにくい傾向はあるけど、いつも温かで穏やかな音色を出す生徒、音色に感情が乗りにくいけど指回りは器用でリズム感のある生徒、そそっかしくてミスが多いけど勢いのある演奏で人を惹きつける生徒…などなど。そのどの演奏も、その人だけのものであり、その人でなければいけないという価値。そこにまずは自信を持ってほしいと思っています。

自分の理想とする演奏にどういう練習を足したらより到達できるのか?これはレッスンで私が個々の課題を見極め、アドバイスして実現していきます。生徒一人一人にとっての成長を最大限に促せるよう、これからも色々な角度からアプローチしてレッスンしていきます!